漱石、「俳友皆無」嘆く手紙

夏目漱石が松山で尋常中学の教師を務めていた頃の俳友、村上霽月に熊本から送った手紙が大阪市内で見つかったそうだ。旧制五高教師として熊本に赴任して約10か月後の1897年2月に書かれ、松山と違って「俳句を楽しむ友人もほとんどおらず嘆いている」と率直な心情を吐露している。全集未収録の2句を含む俳句も添えられている。
手紙は大阪市内の古物商が入手。封書には明治30年の消印が押され、宛名は霽月の本名「村上半太郎様」、裏面には「二月十七日 夏目金之助」とある。30行以上にわたる文章と俳句26句がつづられていた。
漱石は松山市で1年ほどの勤務を経て96~1900年、熊本に在住。この間、生涯に作った俳句の4割にあたる約1000句を詠んだ。ところが、この手紙では「熊本と申す処は俳句抔(など)咏じて楽しむ所では無之候(これなくそうろう) 夫(それ)に俳友も殆んど皆無の有様……」などと記述。寂しさを訴え、松山時代の前からの友人、正岡子規や、霽月らと俳句に楽しんだ日々を懐かしむ思いが強調されている。霽月は、漱石から手紙を受けた97年に伊予農業銀行を設立、頭取に就業した実業家だ。
漱石に詳しい早稲田大の中島国彦教授は、「筆跡は漱石のものに間違いない」としたうえで「手紙を出した時期は、熊本での新しい俳句仲間ができる前。漱石にとって霽月は、文学者とは違って率直な付き合いができたのだろう」と分析する。
また、手紙に添えられた26区のうち24句は、同時期に子規にも句稿の形で送っており、岩波書店の「漱石全集」に掲載されているという。未収録の2句は「蒲団薄く無に若かざる酔心地」「昼の中は飯櫃包む蒲団哉」。中島教授は「日常の風景を色濃く描写した句で、他の作品に比べてやや軽いといえる。子規に送るのはためらいがあったのでは」と推測している。
気の置けない友人にだけ漏らした弱音と何気ない日常を詠んだ俳句に、漱石の人間臭さがうかがえる。