薬に頼りすぎてはダメ!

ここのところ、暖かかったり、急に寒くなったり・・・。体調を崩してしまっている人も多いのではないでしょうか。テレビのCMでも風邪薬のCMが多くなり、一年で風邪薬がもっとも売れる時期でもあります。風邪をひいたときに頼りになる薬ですが、間違った飲み方をしたりしていませんか?痛みを我慢して薬を飲まないのは間違えですが、とりあえず飲んでおこうというのはおススメできません。安易に薬に頼っていると、人間が本来持っている自然治癒力が弱くなり、肝臓を疲れさせます。また、飲みすぎると身体まで疲れさせてしまったりします。副作用のない薬はないといっても過言ではないので、何かしらの形で身体には負担がかかっていて、身体にとって薬は遺物でしかありません。そして、身体が薬に慣れてしまうと、効き目が薄れてきます。それでまた薬を多く摂るようになったり、薬がないとダメな身体になったりと、いつしか薬なしでは不安になってしまい、依存症につながりかねません。薬は必要な時に服用するようにし、頼りすぎには注意しましょう。

辰吉の血

ボクシングの元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎の次男・寿以輝(じゅいき)が11月にプロテストを受ける。辰吉丈一郎と言えば、浪速のジョーの愛称で親しまれ、実力もあり人気の高いボクサーだ。次男も父を尊敬し、父と同じ大阪帝拳ジムで昨年1月から練習し、階級も同じバンタム級ということで期待も高い。

周囲の注目を集める存在ながら、「全然気にしていない。俺は俺。」とコメント。父・丈一郎も「本人に任せている」とのこと。このやり取りだけでもいい親子関係なのがうかがえる。

「目標は世界チャンピオン」と言う寿以輝。今後の活躍に注目したい。

方言が進化すると

方言同士が時を経てそれぞれ異なる方向に変化し、やがては意思の疎通ができなくなるが、このような過程のある段階で各々の方言は別言語だと看做されるようになる。同じ語族に属する言語とは、理論上、そもそも同じ言語(祖語)の方言がさらに変化して別言語に枝分かれしたものである。

一般的な感覚ではしばしば「お互いに意思の疎通が可能」であることが方言か別言語かの基準とされるが、言語学的には「同語族・同語派・同語群の同系統の別の言語」と「同一言語の中の方言」を区別する明確な基準はなく、言語と方言の違いは曖昧である。中には、隣接する地域同士ではそれぞれ意思疎通が可能でも、数地域隔たると全く意思疎通ができなくなる場合もある。国境の有無や、友好国同士か敵対国同士かというような政治的・歴史的な条件、正書法の有無・差異などを根拠に両者の区別が議論されることもあり、例外は多々存在する。そのため、「世界にいくつの言語が存在するか」という質問への明確な答も存在しない。

本来のルチャリブレ

日本では、ミル・マスカラスの影響もあって空中殺法のイメージが強いが、実際は投げ技(巻き投げやティヘラと呼ばれるヘッドシザーズ・ホイップなど)やジャベ(鍵の意)と呼ばれる関節技、ストレッチ技も多用される。ロープワークをはじめとする動き(ムーブ)を駆使するのもルチャの特徴で、突進してくる相手をジャンプして飛び越えたり、相手の股の間をくぐり抜けるなどの軽快で機敏な動きを見せる。

原因・理由は不明であるが、世界の一般のプロレスリングとは鏡写しの動きを取る。具体的には、通常ヘッドロックは左脇に抱えるのが絶対的なルール(マナー)であるが、ルチャにおいては必ず右脇に抱える。ルチャドールが海外で試合をするとき、逆に海外の選手がルチャの試合に出るときはそれぞれに合わせる。

日本の小柄なレスラーや女子レスラーは、メキシコへルチャリブレ留学に行くことが多く、新日本プロレスのジュニアヘビー級においてメキシコ帰りのタイガーマスクや藤波辰爾がルチャの技術を披露し人気を集めた。

ロビッチ

1950年代初頭から、社会主義ユーゴスラビアにおけるポップ、ロックの先駆者として、ロビッチはユーゴスラビア国内外でほぼ半世紀にわたって成功したアーティストとなった。初期にはユーゴスラビア国内のみの歌手であったロビッチの作品は、やがて他のヨーロッパ諸国、そしてその他の各国で買われるようになった。

ロビッチの初の国際的なヒット曲となった1959年の「Morgen」にちなんで、彼は「ミスター・モルゲン」(Mister Morgen)と愛称されるようになった。 この曲はロビッチとドイツのベルト・ケンプフェルトの初の共作であった。この作品がドイツで成功すると、この曲のドイツ語版がアメリカ合衆国のヒットチャートで13位となり、アルバムはゴールド・アルバムとなった。レズリー・アガムス(Leslie Uggams)が歌った英語版の曲「One More Sunrise」は同じアメリカ合衆国のチャートで98位となった。この曲は他にも多くのアーティストによって演じられた。ロビッチはドイツのポリドール・レコードで非常に活発に活動し、何百万枚ものシングル、アルバムを売り続けた。ロビッチはベルト・ケンプフェルトやフレディ・クイン(Freddy Quinn)、ディーン・マーティンなど、多くの有名アーティストと共演した。

モンゴリーフラッグ

フラッグの最も有名なポスターは第一次世界大戦時にアメリカ陸軍への応募を促すために1917年に描かれたものである。見る者を指差すアンクル・サムが、「アメリカ陸軍に君が必要だ」(I Want YOU for U.S. Army)というキャプションと共に描かれている。

このデザインは同様のポーズをした『キッチナーの募兵ポスター』から着想されたものであった。このポスターは第一次世界大戦の間に400万枚以上が印刷され、第二次世界大戦でも再び使用された。このアンクル・サムにはフラッグ自身の顔が(加齢し白い山羊鬚を加えて)使われている。これは単にモデルを用意する手間を省くためであったとフラッグが後に語っている。

広瀬淡窓

文化2年(1805年)には長福寺に初めの塾を開き、これを後の桂林荘・咸宜園へ発展させた。咸宜園は淡窓の死後も、弟の広瀬旭荘や林外、広瀬青邨等以降10代の塾主によって明治30年(1897年)まで存続、運営された。塾生は全国各地から集まり、入門者は延べ4000人を超える日本最大級の私塾となった。

淡窓は嘉永6年(1853年)から 晩年まで万善簿(まんぜんぼ)という記録をつけ続けた。これは、良いことをしたら白丸を1つつけ、食べすぎなどの悪いことをしたら1つ黒丸をつけていき、白丸から黒丸の数を引いたものが1万になるようにするものだった。

ランスアーチャー

2004年3月、TNAに入団。入団当初はダラス(Dallas)というリングネームで、キッド・キャッシュとのタッグを結成し、NWA世界タッグチーム王座を獲得するなど活躍。2005年よりリングネームを本名名義に改めてリングに上がるようになる。キャッシュ退団後、しばらくシングルで出場していたが、2007年よりジミー・レイブ、クリスティ・ヘミと共にロックン・レイヴ・インフェクション(The Rock ‘n Rave Infection)なるバンドギミックのユニットを結成し、リングネームをランス・ロックへと変更。ヘミがヴォーカルを務め、レイブとランスがゲームであるギターヒーロー専用のギター型コントローラーを弾きながら入場することが恒例となっていた。

パロディーユニットではあるがモーターシティ・マシンガンズやチーム3Dといったトップのタッグチームと抗争を繰り広げた。

サップのK1期

総合格闘技大会HERO’Sでは、2005年3月26日にキム・ミンスに右ストレートでKO勝利、7月6日にはアラン・カラエフに左ストレートでKO勝利を収めた。11月5日には「HERO’S 2005 in SEOUL」においてキム・ジョンワンに、8秒でKO勝ち。

並行してプロレスにも参戦。2005年8月4日、「WRESTLE-1 GP 2005 開幕戦」においてジャイアント・バーナードと対戦し、5分30秒、横入りエビ固めで勝利。

同年10月2日、「WRESTLE-1 GP 2005 2回戦」において秋山準と対戦し、7分21秒、ビーストボムからのエビ固めで勝利。

2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMにおいて、アーネスト・ホーストの国内引退試合の相手を務めるはずであったが、契約問題のこじれから試合直前になって試合をボイコット。

UFC

アルティメットあるいはアルティメット大会はUFCのみならず、同種の何でもありルールの大会の代名詞としても用いられた。今日では一般に本国アメリカと同じく、日本でもUFCと呼ぶのが通例である。

初期のUFCはワンデイ・トーナメント形式であったがボクシングの様な階級制になり、ルールも整備された。またUFCとは無関係のローカル大会が多く開かれるようになり底辺も広がった。さらにレスリング選手が多く台頭したこともあり選手のレベルが向上した。結果初期の様な喧嘩さながらの試合はなくなり、より洗練された格闘技となった。特定の格闘技のバックボーンを持たない喧嘩屋タンク・アボットをブラジルの柔術家ビクトー・ベウフォートがボクシングテクニックでKOしたUFC 13での試合は、喧嘩から格闘技へと進化したUFCの象徴的な出来事であろう。